羊皮紙しかない役所

想像してください。あなたは異世界の役所で書記官をしています。契約書を書きたいのに、手元にあるのは高価な羊皮紙が数枚だけ。羊皮紙は一頭の動物の皮からわずか数枚しか取れず、値段も気軽には使えません。もっと安く、たくさん書ける紙があれば――。実はその答え、身近なぼろ布と木の皮の中に隠れています。
手作業では量産できない

紙そのものは大昔からありました。ただし繊維をほぐして紙に仕立てる作業は、すべて人の手作業任せです。ぼろ布や木の皮を棒で叩いてほぐすだけで何日もかかり、一度に用意できる量もごくわずか。量産できないせいで、紙は長いあいだ高価なまま庶民には手が届きませんでした。
紙の正体はフェルト
紙の正体は、実はとてもシンプルです。布や植物の繊維をバラバラの一本一本にほぐし、水に溶かして薄く広げ、水だけを抜いて繊維同士を絡めて固める。つまり紙とは、糸を織った布ではなく、細かい繊維が偶然もつれて出来た「フェルト」のようなものなのです。この原理さえ分かれば、原料は身の回りのものでかまいません。
蔡倫、何でも繊維にする

紀元後一〇五年ごろ、中国の蔡倫が改良したとされる製法では、木の皮、麻のくず、古いぼろ布、さらには漁網までもが原料に使われました。それまで文字を書くのに使われていた高価な絹布より書き心地に優れ、しかも材料費はずっと安い。使えるものは何でも繊維源にする、この発想がのちの世界中の紙づくりに受け継がれていきます。
打解、繊維をほぐす下ごしらえ
まず原料を細かく切り、水に浸けて数日から数週間寝かせます。繊維同士の結びつきを緩め、腐らせて柔らかくするためです。そのあと木づちや石うすで繰り返し叩き、束になった繊維を一本一本バラバラにほぐしていく。この下ごしらえが「打解」で、紙の出来を左右する最初の関門になります。
水車が打解を変えた

この打解、人の手で叩くと大変な重労働でした。そこで登場したのが、川の水車の力を杵に伝えて自動で叩かせる仕組みです。もともと布をふくらませる工房の水車技術を転用したもので、十二世紀ごろヨーロッパにも広まりました。休まず叩き続けられるため処理量が跳ね上がり、紙の値段を大きく引き下げたのです。
抄紙、網ですくい上げる
ほぐした繊維は水を張った槽に薄く溶かします。そこへ網を張った木枠を沈め、すくい上げながら前後左右に揺する。この動きで繊維が縦横に均等にからみ合い、水だけが網目からゆっくり抜けていく。これが紙の形を作る「抄紙」、紙すき職人の腕の見せどころとなる工程です。
すき上げただけでは未完成
すき上げただけでは紙は完成していません。フェルトに重ねて挟み、圧搾機で水分をしっかり絞り出したあと、乾燥させます。さらに膠などを染み込ませる「サイズ引き」をしないと、紙はインクをそのまま吸い込んでにじんでしまう、ただの吸い取り紙のまま。手間を惜しむと使い物にならないのです。
異世界の商業ギルドで

あなたが異世界の商業ギルドや寺院を任されたなら、紙づくりはまさに狙い目です。契約書や台帳、経典の写しを大量に安く用意したい場面ほど、一枚ごとに動物を一頭潰す羊皮紙より、ぼろ布や木の皮から作る紙の方がずっと現実的な選択になります。書き損じを気軽にやり直せるのも紙ならではの強みです。
導入の条件と工夫
必要なのは水車を回せる川と、古布や樹皮といった繊維の仕入れ先、そして網枠を作れる木工職人です。新しく水車小屋を建てる余裕がなければ、粉挽き用の水車に杵だけ追加する手もあります。布が足りない土地では、麻や桑の樹皮で代用するのも現実的な工夫で、いきなり大規模な設備投資をする必要はありません。
処理量はどれだけ伸びるか
手作業の打解では一日かけても少量しかほぐせませんが、水車を使えば昼夜問わず杵を動かし続けられ、処理量はおおよそ数倍から十倍近くに伸びると言われます。紙一枚あたりの値段も、羊皮紙に比べればわずかな割合まで下げられ、数年のうちに書き物の常識が変わっていくでしょう。
次に狙うは活字印刷
紙の量産に目処が立ったら、次に狙うべきは活字による印刷です。一枚ずつ手で書き写す手間から解放され、同じ文章を何十枚も一気に複製できるようになる。安い紙と印刷技術が組み合わさったとき、知識はその世界で一気に広まり、学問や商売のあり方まで変えていくはずです。
まとめ

ぼろ布や木の皮という、どこにでもある繊維をほぐし、水の中で薄く広げ直すだけで生まれる紙。水車の力を借りたことで、その紙はようやく庶民の手にも届く値段になりました。異世界で紙不足に悩んだときは、身近な繊維と、せせらぎで回る水車の力をぜひ思い出してください。
参考・出典
- Cai Lun | Biography, Paper, & Facts(Encyclopaedia Britannica)
- Papermaking | Process, History, & Facts(Encyclopaedia Britannica)
- History of Papermaking Around the World(Robert C. Williams Museum of Papermaking, Georgia Institute of Technology)