金貨を運ぶという危険

もし君が異世界に転生して、遠くの町から大量の羊毛を仕入れることになったとする。代金は金貨で数百枚。これを荷車に積んで山道を越えれば、待っているのは盗賊だ。運よく着いても、船なら難破、陸なら関所での没収がある。今日は、現金を一枚も運ばずに遠くへ支払う、為替手形、かわせがたのしくみを見ていこう。
現金輸送の五つの敵
なぜ現金の輸送がそんなに嫌われたのか。理由は五つある。街道には盗賊が出る。海路なら一度の難破で全額を失う。金貨は手から手へ渡るうちにすり減って目減りする。国によっては金銀の持ち出しそのものが禁じられている。そして何より、時間がかかる。大きな金額ほど、運ぶこと自体が損失になっていく。
手紙に旅をさせる
そこで中世の商人が考えたのが、お金ではなく手紙に旅をさせる方法だ。まず、送りたい金額を自分の町の銀行家に払う。銀行家は、向こうの町にいる仲間あてに、この人にいくら払ってくれ、という手紙を書く。その一枚を早馬が運び、向こうの代理人が現地の通貨で相手に支払う。金貨は一枚も動いていない。
手形に書いてあること
この手紙が、為替手形と呼ばれるものだ。書いてあることは決まっている。誰がこの支払いを頼んだのか。向こうで誰が払うのか。金額はいくらか。いつ払うのか。そして、どの町のどの通貨で渡すのか。この五つがそろっていれば、受け取った側は安心して現地の金を渡せる。
フィレンツェからブルッヘへ

具体的に見てみよう。フィレンツェの商人が、ブルッヘの毛織物商に代金を払いたい。商人はまず、地元の銀行家にフロリン金貨で代金を預ける。銀行家はブルッヘの支店あてに手形を振り出す。支店は、決められた期日、およそ六十日後に、毛織物商へ現地のポンドで支払う。二つの町、二つの通貨が、一枚の紙でつながる。
ポイント
- 地元でフロリン金貨を預ける
- 支店あてに手形を振り出す
- 約六十日後に現地通貨で支払い
利息を為替レートに隠す
銀行家は、ただ働きでこれをやるわけではない。当時の教会は、お金を貸して利息を取ることを厳しく禁じていた。そこで銀行家は、フィレンツェで預かるときのレートと、ブルッヘで払うときのレートを、自分に有利になるよう少しずつずらす。この為替差益が、実質的な手数料であり、利息でもあった。
支払いを拒まれたら
もちろん危険はある。向こうの代理人が、金がない、聞いていない、と言って支払いを拒むことがある。そのときは公証人がその場で拒絶を記録し、手形は振り出した銀行家のもとへ差し戻される。銀行家は違約金を上乗せして返金しなければならない。だからこの仕組みは、信用できる代理人の網があって初めて回る。
定期市で帳尻を合わせる
支払いのたびに現金をやりとりしていては意味がない。そこで銀行家たちは、年に何度か開かれる定期市に集まった。シャンパーニュやリヨンの大市がそれだ。持ち寄った手形の貸し借りを一斉に突き合わせ、ほとんどを相殺で消してしまう。実際に動く現金は、残った差額だけになる。
実践①どこで効くか

ここからは異世界での実践編だ。まず、どこで効くか。遠くの町との継続的な仕入れや、そこへ送る職人や傭兵への支払い。離れた領地から都に地代を送るとき。巡礼や長旅で路銀を持ち歩きたくないとき。どれも、現金を運べば運ぶほど危険と費用がかさむ場面で、手形は力を発揮する。
ポイント
- 遠くの町との仕入れと支払い
- 不在の領地からの地代の送金
- 巡礼や長旅の路銀がわり
実践②何がそろえば入れられるか
次に、導入の条件だ。何よりも、向こうの町に信用できる代理人がいること。ふつうは一族の者や、長年の商売仲間を置く。手紙を運ぶ早馬や隊商の便が定期的にあること。取引を記す帳簿の力。そして、両方向にそこそこ商いが流れていて、貸しと借りがだいたい釣り合うことだ。
実践③その世界流の工夫
あるもので工夫するなら、こうする。まずは一族や同業組合の内側だけで小さく始める。手紙は写しをもう一通作り、別の便で送って紛失に備える。決まった印章と、当事者しか知らない符丁で偽造を防ぐ。手数料は表に出さず、為替レートに含めておく。清算は年に数回、定期市でまとめて行う。
実践④効果と次の一手
効果の程度を見ておこう。護衛の賃金や、積荷ごと失う危険がまるごと消える。その分は、大口の送金なら数パーセントから一割ほどにもなる。決済にかかる時間も、定期市の周期に合わせて数週間で片がつく。ここまで来たら次の一手だ。手形の裏に署名して他人へ譲る裏書き、期日前に安く現金化する割引、そして預金と口座振替へと進んでいける。
まとめ

まとめよう。金貨を遠くへ運ぶのは、盗賊、難破、目減り、持ち出し禁止と、危険だらけだ。為替手形は、地元で払い、一枚の手紙を旅させ、向こうの代理人に現地の金で払わせることで、この危険を消す。教会の利息禁止は為替レートでかわし、決済は定期市の相殺でまとめる。要は、モノを運ぶかわりに信用を動かす技術なんだ。
参考・出典
- Champagne Fair(Encyclopaedia Britannica)
- The Medieval Bill of Exchange(University of Toronto, Department of Economics (John H. Munro))
- ‘Your flexible friend’: the bill of exchange in theory and practice in the fifteenth century(The Economic History Review (Wiley))